2012年10月23日火曜日

23日「死んだ業から清めて」

 

 

ヘブライ9:11-14新約p 411(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

11けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、

12雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。

13なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、

14まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。

 

 

*礼拝は強制されていくものではありません。

「生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。」とありますが、

キリストの十字架の血によって、清められ生かされたクリスチャンは、

喜びに突き動かされて、礼拝へと向かっていくのです。

クリスチャンの動機や行動の原動力は、

十字架を知るというところにあります。

 

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