2012年7月14日土曜日

14日「キリストと教会」

 

エフェソ5:26-30 新約p 358(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

 

キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、

しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。

そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。

わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。

わたしたちは、キリストの体の一部なのです。

 

*夫婦は一体であるというのが聖書の基準です。

夫は妻を愛するように求められていますが、

愛し方は自分勝手で良いのではありません。

キリストが教会を愛したように愛すること。

自分自身を愛するように妻を愛することが求められているのです。

そしてイエス・キリストは私たちを愛して、十字架という大きな犠牲を払ってくださいました。

愛することの基準を、目に見えるように示してくださったのです。

DVなどが恋人間でも問題になっています。

本当に愛するとはどういうことなのかを

お互いが理解し共通の価値観を持つことが大切なのです。

 

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