ルツ記のメッセージは全ての時代へのメッセージと言えます。
・恵まれた中で生きている人に対しては、一人の人の信仰の行動によって、今の自分があることを思い起こさせるメッセージがあります。
・困難の中で生きている人に対しては、信仰者ルツに目を注いで、全能の神の導きと恵みを思い起すように励ましているのです。
<神に導かれたハッピーエンド>
ルツの物語は、全能の神の手の中で導かれ、幸福を獲得した物語です。
ボアズという一人の人がルツと結婚し、子どもが生まれるというハッピーエンドで結ばれていますが、
ヘブライ語の聖書の最後の単語は「ダビデ」という言葉です。
イスラエルの王国を築き、救い主の先祖となるダビデが誕生するために、
神様が導かれた出会いであることを思い起こさせるのです。
さて、モアブという外国から、イスラエルのベツレヘムへ移住したルツは、
生活のために落穂を拾います。その畑は、後に夫となるボアズの畑でした。
聖書は「たまたま」畑に導かれたと記しています。
他の聖書の訳では「はからずも」と、単なる偶然ではなく、全能の神の手に引かれたことが強調されています。
ボアズは全能の神の手に導かれたルツに対して、この畑を離れないように勧めます。
「わたしの娘よ、よく聞きなさい。よその畑に落ち穂を拾いに行くことはない。ここから離れることなく、わたしのところの女たちと一緒にここにいなさい。」(ルツ2:8)
ボアズはイスラエル民族で、ルツは異邦人のモアブ民族です。
二人が結婚したことは、キリストとわたしたち異邦人の教会が一つになることを示しています。
そしてボアズがルツを自分の畑に引き止めたように、
キリストも私たちを招き、ご自分の恵みの場から離れないように勧められます。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ15:5)
「わたしの愛にとどまりなさい。」(ヨハネ15:9)
ボアズの畑でルツは落穂を拾いました。
けれどもその落穂は、ルツのために用意された、わざと落とされたものでした。
キリストの畑にも恵みが満ちています。
私たちは与えられる恵みによって生かされるのです。
ボアズはルツの生活を支えるために、わざと落穂を落とすように命じました。
キリストも私たちを日々保ち、生かすために恵みを与えてくださるでしょう。
キリストは今日、私たちを招いておられます。
「わたしの愛にとどまりなさい。」
神は愛なり
<ナオミから離れない決意>
ルツが素晴らしい祝福を受け取った原点を考えてみましょう。
モアブの地からユダヤのベツレヘムに移るときのルツの決心が、
祝福と信仰の原点と言う事ができます。
ナオミはルツが自分の世話だけをして、生涯を送ることを不憫に思い、
ルツに自分の道を歩むように進めます。
けれども、ルツは固い決心をしてこのように言いました。
「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。
わたしは、あなたの行かれる所に行き/お泊まりになる所に泊まります。
あなたの民はわたしの民/あなたの神はわたしの神。
あなたの亡くなる所でわたしも死に/そこに葬られたいのです。
死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。」
ルツの言葉には、ただ単にナオミから離れないというだけではなく、
ナオミの信仰からも離れないとの決意をみることができます。
たった一人で生きていかなければならないナオミに同情するだけではなく、信仰宣言が含まれています。
「あなたの民はわたしの民/あなたの神はわたしの神。」
ではナオミの信仰とはどのようなものでしょうか。
ナオミは言った。「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。」(ルツ1:20)
自分を苦しい目に合わせたのは、「全能者」だと告白しています。
ただの神ではなく、「全能者」なのです。
今は不幸の中で過ごしているが、何でもできるお方の手の中で、わたしは歩んでいるとの告白です。
裕福であったヨブが、試みられたときこのように告白しています。
「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」(ヨブ2:10)
ナオミの神を自分の神とするとは、
良いときも悪いときもどんな時も全能の神の手の中にあるとの信仰に立つことなのです。
ルツの働きと信仰はダビデ王の誕生に結びつきました。
異邦人である私たちの信仰と働きは、キリストがもう一度来られるときに結びつくのです。
今日、ルツの信仰が私たちのものとなりますように。
キリストにしっかりと結びつき離れないとの告白の中で、
主の御名を唱えましょう。
「わたしたちはあなたを離れません。命を得させ、御名を呼ばせてください。」(詩編80:19)
我は主なり
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