エフェソ5:26-30 新約p 358(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、
しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。
そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。
わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。
わたしたちは、キリストの体の一部なのです。
*夫婦は一体であるというのが聖書の基準です。
夫は妻を愛するように求められていますが、
愛し方は自分勝手で良いのではありません。
キリストが教会を愛したように愛すること。
自分自身を愛するように妻を愛することが求められているのです。
そしてイエス・キリストは私たちを愛して、十字架という大きな犠牲を払ってくださいました。
愛することの基準を、目に見えるように示してくださったのです。
DVなどが恋人間でも問題になっています。
本当に愛するとはどういうことなのかを
お互いが理解し共通の価値観を持つことが大切なのです。
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