2012年12月30日日曜日
30日「あなたに感謝を」
詩編75:2 旧約p 910(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
あなたに感謝をささげます。神よ、あなたに感謝をささげます。御名はわたしたちの近くにいまし人々は驚くべき御業を物語ります。
*クリスチャンにとっての感謝は、
神様から何かを受け取ったということではなく、
御名である神ご自身が、私たちと共におられたという事実を発見することにあります。
この一年、尾道教会でも様々なことがありました。
アンネ・フランク展、しまなみクリスマスコンサートなど
大きな企画もありました。
すべてにおいて、神様が共におられたことを感謝します。
2012年12月27日木曜日
27日「喜びにあふれた」
マタイ2:9-11 新約p 2(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
*小さな星が、東方の学者たちを素晴らしい出会いへと導きました。
私たちをキリストに招く星は何でしょうか。
小さな星、小さなきっかけが、素晴らしい出会いへと導きます。
そんなきっかけが、新しい年にありますように。
2012年12月25日火曜日
25日「救い主がお生まれになった」
ルカ2:8-12 新約p 103(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
8その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
9すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
10天使は言った。⌈恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。⌋
*天使の大合唱はどんな歌だったのでしょうか。
素晴らしい歌だったに違いありませんが、
それを聞けたのは貧しく、見下げられていた羊飼いでした。
クリスマスの祝福は、意外なところに最初に伝えられました。
2012年12月23日日曜日
23日「神の賜物」
ローマ6:22-23 新約p 282(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
22あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。
23罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
*クリスマスが近づき、子どもたちはどんなプレゼントがもらえるのか、
ワクワクしていることでしょう。
昨日は神原病院内教会学校のクリスマス会をしましたが、
予想と違うプレゼントを受け取り、
良い意味で驚いてくれました。
私たちににも、神様からのプレゼントが提供されてます。
それはキリスト御自身です。
明日はクリスマスイブですね。
そのプレゼントを受け取ることができますように。
2012年12月22日土曜日
22日「主があなたと共におられる」
ルカ1:26-28 新約p 100(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
26六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
27ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
28天使は、彼女のところに来て言った。⌈おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。⌋
*人の幸せの基準が示されています。
主が共におられることが、人間の本当の幸せです。
マリアは若い時代にこの基準を持ち、
困難な人生を生き抜いた人です。
2012年12月20日木曜日
20日「待望している主」
マラキ3:1 旧約p 1499(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は
突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者
見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。
*救い主キリストが現れる場所として聖所(神殿)が示されています。
老預言者シメオンは、神殿で幼子キリストと出会いました。
神様の約束を握り続ける人は幸いです。
2012年12月19日水曜日
19 日「朝を待つにもまして」
詩編130:5-8 旧約p 973(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
5わたしは主に望みをおき
わたしの魂は望みをおき
御言葉を待ち望みます。
6わたしの魂は主を待ち望みます
見張りが朝を待つにもまして
見張りが朝を待つにもまして。
7イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに
豊かな贖いも主のもとに。
8主は、イスラエルを
すべての罪から贖ってくださる。
*私たちはどれくらい待つことができるでしょうか。
短期的な事柄だけではなく、
長期的に待っているものはあるでしょうか。
親の代から待っていることを持っている人は稀だと思います。
イスラエル民族は、メシアの誕生を待ち望みました。
聖書の約束を次の世代へと引き継いでいったのです。
気の遠くなるような待ち方です。
そしてクリスチャンは、もう一度来ることを約束された
キリストを世代をリレーしながら待ち続けているのです
2012年12月15日土曜日
15日「救いに通じる悔い改め」
2コリント7:8-10 新約p 333(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
8あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、
9今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。
10神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。
*一般的な悲しみの中に自分を置き続けると、人は弱っていきます。
しかし罪に対しての悲しみは、私たちに救いと慰めと命へと導くものです。
イエス・キリストは
「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」
と語っておられますが、
その意味がここにあります。
2012年12月14日金曜日
14日「神の忍耐」
2ペトロ3:8-9 新約p 439(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
8愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
*私たちは自分が過ごす時のことをどのように考えているでしょうか。
80年の人生が与えられていたとしても、
それはあっという間に過ぎ去る時間です。
けれども人には神の前に永遠と言う時間を超えた場所が存在しています。
「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」
と言われる場所で私たちがどうあるかを、聖書は重要視しているのです。
2012年12月13日木曜日
13日「打ち砕かれ悔いる心」
詩編51:18-19 旧約p 885(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
18もしいけにえがあなたに喜ばれ
焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら
わたしはそれをささげます。
19しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を
神よ、あなたは侮られません。
*打ち砕かれるという事は、私たちにとってとても辛い経験です。
人からの言葉や攻撃によって打ち砕かれる時、私たちの精神は疲弊します。
けれども神によって砕かれるのは、人からのものとは異なります。
悔い改めは私たちの霊が砕かれることです。
霊が砕かれることによって、神の愛が浸透しやすい、柔らかな心となるのです。
2012年12月12日水曜日
12 日「告白して罪を捨てる」
箴言28:12-14 旧約p 1028(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
12神に従う人々が喜び勇むと輝きは増し
神に逆らう者が興ると人は身を隠す。
13罪を隠している者は栄えない。告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける。
14いかに幸いなことか、常に恐れを抱いている人。心の頑な者は苦難に陥る。
*企業などが問題を隠蔽工作したことによって、
より大きな問題に発展していること私たちはニュースなどで知っています。
失敗や過ちを隠し続ける先に、良い発展はありません。
人も同じことが言えます。
神様の前に自分は完全だと誇れる人は誰もいないはずです。
自分の不完全さを認めつつ進む道に、真実の祝福はあるのです。
2012年12月11日火曜日
11日「罪を公に言い表す」
1ヨハネ1:7-10 新約p 441(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
7しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
8自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
9自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
10罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。
*神が全てを知っておられるなら、祈る必要があるのでしょうか。
また、告白する必要があるのでしょうか。
今日の御言葉は、神の側の問題ではなく、
私たち自身が自分自身を、また罪をどのように認識しているかが問われているのです。
自分のありのままの姿を見つめ、認め、
神様の前に赤裸々になるとき、真実の赦しを経験できるのです。
2012年12月10日月曜日
10日「放蕩息子」
ルカ15:17-20 新約p 139(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
17そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
18ここをたち、父のところに行って言おう。⌈お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
19もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください⌋と。』
20そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
*息子はわたしたちを、父親は神様のことを表しています。
そして、この譬え話のテーマは神の愛と赦しです。
私たちが方向転換(=悔い改め)をすることを待ち続け、
受け入れてくださるのです。
2012年12月8日土曜日
8日「正義が造り出すもの」
イザヤ32:15-18 旧約p 1112
15ついに、我々の上に
霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり
園は森と見なされる。
16そのとき、荒れ野に公平が宿り
園に正義が住まう。
17正義が造り出すものは平和であり
正義が生み出すものは
とこしえに安らかな信頼である。
18わが民は平和の住みか、安らかな宿
憂いなき休息の場所に住まう。
*私たちはそれぞれ異なった価値観を持っています。
その価値観に基づいて行動を起こすわけです。
もちろん迷いもありますが、信念をもって行動します。
それを正義と呼ぶことができるでしょう。
それぞれの異なった正義が争いを生みます。
正義と正義が対立します。
けれども、神の正義は平和を作り出すためです。
それは公平と愛に満ちた正義です。
私たちの個人的な正義も、平和を作り出すものとなりますように。
2012年12月6日木曜日
6日「イスラエルの上に」
ガラテヤ6:14-16 新約p 351(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
14しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。
15割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。
16このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。
*人はどのようにして新しくスタートできるのでしょうか。
聖書は、キリストの十字架によって、
新しい基準が生まれることを言っています。
キリストの十字架と私が一つとなるとき、
この世は自分に対して何の力もないものとなります。
この原理に生きる中に、真実の平和があるのです。
2012年12月5日水曜日
5 日「シャローム」
ルカ10:5-6 新約p 125(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
5どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。
6平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。
*聖書の言葉であるヘブライ語の挨拶は「シャローム」と言います。
シャロームとは、平和という意味です。
自分の平和だけではなく、相手や周囲の平和を求める挨拶です。
自分中心に平和を求めるのではなく、
相手も含めた人間関係の平和を求めて祈りましょう。
2012年12月4日火曜日
4日「平和の契約」
イザヤ54:9-10 旧約p 1151(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
9これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。
再び地上にノアの洪水を起こすことはないと
あのとき誓い
今またわたしは誓う
再びあなたを怒り、責めることはない、と。
10山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。
*人の約束は絶対のものではないかもしれません。
けれども、神様の約束は絶対のものです。
今日の御言葉には、創造主の変わらない約束が記されています。
人生に多くの問題や困難は起こりますが、
契約は破棄されず、平和は必ず与えられるのです。
2012年12月3日月曜日
3日「平和が告げられる」
ゼカリヤ9:9-10 旧約p 1488(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
9娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
10わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ
諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで及ぶ。
*王の入城に使われる動物は、普通は馬です
けれどもキリストの入城で使われた動物は、ロバでした。
それは武力によって平和を確立するのではなく、
人に仕えることによって、平和を確立するためです。
他者の奉仕は平和につながるはずです。
私たちの小さな働きが、平和につながっていきますように。
2012年12月1日土曜日
1日「気を落とさずに」
ルカ18:1-7 新約p 147(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。
2⌈ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。
3ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。
4裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。
5しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』⌋
6それから、主は言われた。⌈この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。
7まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
*イエス・キリストの譬え話には、ユーモアが含まれています。
今日の御言葉には、不正な裁判官が登場します。
あってはならないことですが、現実には存在していたのだと思います。
根っからの不正な裁判官でさえ、
訴えのうるさい女性のために正しい裁きをするのだから、
公平な神様は必ず正しい裁きをし、
私たちを見捨てないということです。
そんな神様を信じ、真実の答えを得るまで、祈り続ける人は幸いです。
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