イザヤ6:4-7 旧約p 1069(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
4この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
5わたしは言った。⌈災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は
王なる万軍の主を仰ぎ見た。⌋
6するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。
7彼はわたしの口に火を触れさせて言った。⌈見よ、これがあなたの唇に触れたので
あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。⌋
*五十歩百歩、人のふり見て我がふり直せ
どちらも自分の姿を見つめなければならないことを教えています。
他人には厳しく、自分には甘い、これが人間本来の姿でしょう。
自分自身を見つめるということが非常に難しいものです。
今日の聖書の登場人物イザヤも同じです。
彼は正義感に燃えてイスラエル民族の批判の言葉を述べています。
けれども神の栄光の前に立ったとき、他者への非難は消え、
人は自分の醜さと現実を知ることになります。
その時に、神の救いの手が伸ばされていくのです。
今日一日、他者への批判の前に自分を見つめることができますように。
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