2012年11月30日金曜日
30日「”霊”に助けられて」
エフェソ6:18-20 新約p 359(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
18どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
19また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。
20わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。
*日本のことわざには、
「触らぬ神に祟りなし」「困った時の神頼み」
というものがあります。
つまり、神を必要としないことが安定した生活であり、
幸せであるとの考え方があるのです。
ですから、祈りといえば
どうして自分の必要や願い事を依頼するものに偏ってしまいます。
つまり私たちの祈りは自己中心の祈りに陥りがちなのです。
適切な祈りをささげるためには神の霊である聖霊の助けが必要です。
神にサポートされた祈りをささげることができますように。
2012年11月29日木曜日
29日「いささかも疑わず」
ヤコブ1:5-8 新約p 421(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
5あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。
6いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。
7そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。
8心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。
*私たちの家に起こってくる問題、それを簡単な言葉で表すと
「足りない」ということではないでしょうか。
自分自身の能力や愛情が「足りない」
金銭面や健康面で「足りない」
大切なものは失って初めて気付くと言いますが、
現状が満たされていると感じられる人は少ないのではないでしょうか。
本当は満たされているという場合は別にして、
神様は私たちの本当の必要満たすことのできるお方です。
しかも惜しみなく与えてくださいます。
大きな期待を持って、祈り求めることが許されているのです。
2012年11月28日水曜日
28 日「教会で」
使徒12:1-5 新約p 236(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、
2ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
3そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。
4ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。
5こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。
*一人はみんなのために、みんなは一人のために
という言葉がありますが、
一人の人の救いや必要のために、多くの人が祈っている今日の光景は、
それを実践していると言えるでしょう。
そして、祈りによって教会が一つになった時、
どれほど素晴らしい力を持っているかが示されています。
2012年11月27日火曜日
27日「心を一つにして」
マタイ18:18-20 新約p 35(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
18はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
19また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
20二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。⌋
*心を合わせることの大切さが語られています。
祈りのひと時は、心を合わせる具体的な表現です。
そして、心を合わせる祈りに祈りには、大きな期待を持つことができるのです。
2012年11月26日月曜日
26日「祈るときには」
マタイ6:5-6 新約p 9(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
5⌈祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
*祈りは神との個人的な対話でであることと、
他者を意識した行為を戒めることが記されています。
祈りを難しく考える必要はありません。
今置かれている現実と現状を神に報告し、訴えればよいのです。
また、何か行うとき
その動機がどこにあるかを冷静に確認する必要があるでしょう。
今日一日、神に向かう真実の祈りをささげることができますように。
2012年11月24日土曜日
24日「健康であるように」
3ヨハネ2 新約p 449(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。
*今の時代はとかく自分中心になりやすいものです。
他人のことよりも、自分のことを優先しがちです。
自分がするよりも、してもらうことを求めがちです。
私たちの身近に健康を必要としている人がいるでしょうか。
体の健康、心の健康、霊の健康です。
自分の身近な人、大切な人の魂が恵まれ、健康が祝されるように祈りましょう。
2012年11月23日金曜日
23日「祈ってもらいなさい」
ヤコブ5:14-15 新約p 426(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
14あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。
15信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。
*病気のとき、支えてくれる人は誰でしょうか。
何をどのようにして支えてくれるでしょうか。
病気によっては何もできない場合もあります。
ただ見守るだけでしょうか。
すべての方策が尽きたように見える中で、
もう一つできることがあります。
それは祈ることです。
誰かに祈ってもらうことを依頼したことはあるでしょうか。
あなたの周囲のクリスチャンに、
祈りを求めてみてください。
きっと大きな支えを経験できるはずです。
2012年11月22日木曜日
22日「病をすべて癒される」
詩編103:1-5 旧約p 939(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1【ダビデの詩。】わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって
聖なる御名をたたえよ。
2わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
3主はお前の罪をことごとく赦し
病をすべて癒し
4命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け
5長らえる限り良いものに満ち足らせ
鷲のような若さを新たにしてくださる。
*心が病めば体も弱り、
心が元気になれば体も元気になります。
今日の御言葉には、病の癒しの前に罪の赦しが言及されています。
私たちの霊の癒しは、病の癒し以上に大切な癒しです。
それは神の前に何の不安もなく立つことができる健全さなのです。
今日、愛である神様の癒しが与えられますように。
2012年11月21日水曜日
21 日「38年の病のいやし」
ヨハネ5:5-9a 新約p 171(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
5さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。
6イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、⌈良くなりたいか⌋と言われた。
7病人は答えた。⌈主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。⌋
8イエスは言われた。⌈起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。⌋
9すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。
*病人は現状の原因を他者に責任転嫁しています。
私たちも現状の理由を、他に責任転嫁していないか、
自己吟味をする必要があります。
またイエスは、「良くなりたいか」と尋ね、
自分の本当の気持ちに向き合うように導いておられます。
どちらも真摯に自分に向き合うことの大切さを教えています。
2012年11月20日火曜日
20日「あなたをいやす主」
出エジプト15:26 旧約p 119(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
言われた。「もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である。」
*癒しという言葉はすっかり定着しましたが、
その内容については人それぞれの基準があるのではないでしょうか。
聖書が示す癒しは、体と心と霊の全人格的な癒しです。
そして最も重要な癒しは、永遠の存在である私たちの霊の癒しです。
2012年11月19日月曜日
19日「ナアマンのいやし」
列王記下5:10-14 旧約p 584(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
10エリシャは使いの者をやってこう言わせた。⌈ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。⌋
11ナアマンは怒ってそこを去り、こう言った。⌈彼が自ら出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。
12イスラエルのどの流れの水よりもダマスコの川アバナやパルパルの方が良いではないか。これらの川で洗って清くなれないというのか。⌋彼は身を翻して、憤慨しながら去って行った。
13しかし、彼の家来たちが近づいて来ていさめた。⌈わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。⌋
14ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。
*ナアマンの体は子どものようにスベスベした肌となりましたが、
その秘訣は、彼の心が神の言葉に従う柔軟な
子どものような心となったことなのです。
2012年11月17日土曜日
17日「ヨナにまさるもの」
マタイ12:39-41 新約p 23(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
39イエスはお答えになった。⌈よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
40つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。
41ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。
*ヨナの経験は、キリストの死と復活を予告するものでした。
クリスチャンもまた、キリストの生と死を
世に現わす働きを持っています。
今日一日、私たちの上に起こる良いことも辛いことも、
すべてがキリストを現わすことができますように。
2012年11月16日金曜日
16日「惜しまずにいられるか」
ヨナ4:10-11 旧約p 1448(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
10すると、主はこう言われた。⌈お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。
11それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。⌋
*一晩で生えた植物の日陰が、
あっという間に枯れてしまったので、
ヨナは神様に文句を言いました。
それに対しての神様の返事が今日の御言葉です。
ヨナにとってニネベは政治的な関係から、受け入れにくい人々でした。
けれども神にとっては、ご自分の創造物であり、愛すべき人々だったのです。
自分にとっては価値のないものでも、
他の人にとっては大切な場合が良くあります。
あるいはその価値が自分に見えていない場合もあります。
軽々しく価値を否定しないようにしたいものです。
2012年11月15日木曜日
15日「ニネベの悔い改め」
ヨナ3:1-5 旧約p 1447(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1主の言葉が再びヨナに臨んだ。
2⌈さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。⌋
3ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。
4ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。⌈あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。⌋
5すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
*ヨナの呼びかけに、ニネベの町の住人と王は耳を傾け、悔い改めました。
この素晴らしい実りを結ばせるために、ヨナを用いられたのです。
私たちも自分の主張に耳を傾けてくれる人が、
誰もいないとあきらめてはいないでしょうか。
あなたの言葉に耳を傾けてくれる人が、きっといるはずです。
2012年11月14日水曜日
14 日「救いは主に」
ヨナ2:7b-11 旧約p 1446(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
7しかし、わが神、主よ
あなたは命を
滅びの穴から引き上げてくださった。
8息絶えようとするとき
わたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き
聖なる神殿に達した。
9偽りの神々に従う者たちが
忠節を捨て去ろうとも
10わたしは感謝の声をあげ
いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。
11主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出した。
*行動は、その人の考えや意思の表現です。
信仰も行動によって表現することができます。
けれども人は年齢を重ねると運動能力が衰えたり、
状況によっては、何もできないように思う場合があります。
絶体絶命と思われる状況でも、まだ一つ人は信仰の行動を起こすことができます。
それは主の御名を呼ぶということです。
主の御名を呼ぶことはどこでもできる信仰の行動です。
2012年11月13日火曜日
13日「陰府の底から」
ヨナ2:1-3 旧約p 1446(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。
2ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、
3言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと
主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めると
わたしの声を聞いてくださった。
*魚の腹にいるという状況にありながらも、
命を保っていることを思い、主が助けてくださったとことに感謝をささげています。
一見最悪と思われる状況でも、
見方が変わるときそこに救いを発見することができるのです。
最悪は、実は最悪ではない可能性があるのです。
2012年11月12日月曜日
12日「わたしのせいで大嵐が」
ヨナ1:9-12 旧約p 1445(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
9ヨナは彼らに言った。⌈わたしはヘブライ人だ。海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ。⌋
10人々は非常に恐れ、ヨナに言った。⌈なんという事をしたのだ。⌋人々はヨナが、主の前から逃げて来たことを知った。彼が白状したからである。
11彼らはヨナに言った。⌈あなたをどうしたら、海が静まるのだろうか。⌋海は荒れる一方だった。
12ヨナは彼らに言った。⌈わたしの手足を捕らえて海にほうり込むがよい。そうすれば、海は穏やかになる。わたしのせいで、この大嵐があなたたちを見舞ったことは、わたしが知っている。⌋
*今日の場所はヨナの魅力が満載の名シーンです。
ヨナは自分の感情に素直に生きています。
嵐の責任を認め、ジタバタすることなく
嵐の打開策を提案しています。
責任を感じた時、そこから逃げ出さないという姿は、
私たちにとって大きな光です。
強い自己主張は、強い責任感とセットであるべきでしょう。
2012年11月11日日曜日
11日「ヨナの逃亡」
ヨナ1:1-3 旧約p 1445(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。
2⌈さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。⌋
3しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。
*ヨナは自分の感情や思いに正直に生きている人です。
神様の言いなりになることを嫌い、命令に背きました。
それはアッシリアの首都ニネベは敵国であったために、
感情的に受け入れられなかったのです。
そのようなヨナを、神様は段階を踏んで導かれるのです。
2012年11月10日土曜日
10日「神を見る」
マタイ5:8-10 新約p 6(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
8心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
9平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
10義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
*清いとは、まっすぐ、ひたむきな様子を表しています。
神にまっすぐに向かう人は、神との出会いを経験するでしょう。
2012年11月9日金曜日
9日「備えをせよ」
アモス4:12-13 旧約p 1433(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
12それゆえ、イスラエルよ
わたしはお前にこのようにする。
わたしがこのことを行うゆえに
イスラエルよ
お前は自分の神と出会う備えをせよ。
13見よ、神は山々を造り
風を創造し
その計画を人に告げ
暗闇を変えて曙とし
地の聖なる高台を踏み越えられる。その御名は万軍の神なる主。
*私たちは様々な不測の事態に備えようと努力をします。
危機や危険をできるだけ避けようとするのは自然な思いです。
私たちは様々な備えをしようとして行きますが、
今日の聖書の言葉は、もう一つの備えを強調しています。
それは神と出会う備えです。
後悔のない生き方をすることや、
正しい事を選ぼうとすること。
人の前だけではなく、
神の前に立つことができる生き方をすること。
もちろん全てがうまくいくわけではありませんが、
その意識の中に生きることが重要なのです。
神様からの恵みによって、今日一日備えをすることができますように。
2012年11月8日木曜日
8日「イザヤ」
イザヤ6:4-7 旧約p 1069(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
4この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
5わたしは言った。⌈災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は
王なる万軍の主を仰ぎ見た。⌋
6するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。
7彼はわたしの口に火を触れさせて言った。⌈見よ、これがあなたの唇に触れたので
あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。⌋
*五十歩百歩、人のふり見て我がふり直せ
どちらも自分の姿を見つめなければならないことを教えています。
他人には厳しく、自分には甘い、これが人間本来の姿でしょう。
自分自身を見つめるということが非常に難しいものです。
今日の聖書の登場人物イザヤも同じです。
彼は正義感に燃えてイスラエル民族の批判の言葉を述べています。
けれども神の栄光の前に立ったとき、他者への非難は消え、
人は自分の醜さと現実を知ることになります。
その時に、神の救いの手が伸ばされていくのです。
今日一日、他者への批判の前に自分を見つめることができますように。
2012年11月7日水曜日
7 日「ヨブ」
ヨブ42:1-6 旧約p 833(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1ヨブは主に答えて言った。
2あなたは全能であり
御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
3⌈これは何者か。知識もないのに
神の経綸を隠そうとするとは。⌋そのとおりです。
わたしには理解できず、わたしの知識を超えた
驚くべき御業をあげつらっておりました。
4⌈聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。⌋
5あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
6それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し
自分を退け、悔い改めます。
*人生には不条理と思えることが起こることがあります。
「なぜ?」「どうして?」と自問しても答えは見つかりません。
今日の聖書の登場人物ヨブも、人生の不条理を経験しました。
これは問い続けましたが答えは見つかりませんでした。
そして最後に全てを掌握しておられる神と出会います。
神が人の理解をはるかに超えた偉大な存在であることを知ったことによって、
ヨブは自分の身に起こることの全てを理解できなくても、
人生のすべてを委ねることができるようになりました。
2012年11月6日火曜日
6日「ヤコブ」
創世記28:16-17 旧約p 46
16ヤコブは眠りから覚めて言った。⌈まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。⌋
17そして、恐れおののいて言った。⌈ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。⌋
*日本人は無神論であるとよく言われていますが、
実際にはそうではなく、神を意識しないところに、
人の幸せがあると考えていたようです。
「困った時の神頼み」という言葉が示すように、
困らないことが人間にとっての幸せであり、
つまり神を求めないことが、人の幸せにつながっているということなのです。
キリスト教は全く逆の考え方です。
神が共におられると言う事を発見するところに、
人の幸せがあるのです。
今日の御言葉を見ると、
最も身近におられる神の存在を発見し、驚き喜んでいます。
私たちも発見することができますように。
2012年11月5日月曜日
5日「イサク」
創世記26:23-25 旧約p 41(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
23イサクは更に、そこからベエル・シェバに上った。
24その夜、主が現れて言われた。⌈わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす
わが僕アブラハムのゆえに。⌋
25イサクは、そこに祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝した。彼はそこに天幕を張り、イサクの僕たちは井戸を掘った。
*私たちが親から受け継いだ価値観にはどんなものがあるでしょうか。
家風と言うと少々古めかしい考え方と感じるかもしれません。
最近はあまり重要視されていないかもしれませんが、
もう少し大事にしても良いように感じます。
あまり軽視すると、
子育てが無駄だという極論に走ってしまうかもしれません。
けれども実際には無視しているようでも、
知らず知らずのうちに考えの土台となっていく部分もあるはずです。
今日の御言葉ですが
アブラハムの礼拝の行為を同じようにイサクも行っています。
祝福と信仰を、しっかりと引き継いでいる姿を見ることができます。
私たちも良いものはしっかりと受け継いでいきたいものです。
2012年11月4日日曜日
4日「アブラハム」
創世記17:1-5 旧約p 21(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。⌈わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。
2わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。⌋
3アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。
4⌈これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。
5あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。
*老齢のアブラハムにとって、神が「全能」であると
ご自身を啓示されたことは、
信仰を固くする上で必要なことでした。
神はそれぞれにもっともふさわしい御名を名乗って、
私たちに出会ってくださるのです。
2012年11月3日土曜日
3日「賛美、誉れ、栄光」
黙示録5:12-14 新約p 458(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
12天使たちは大声でこう言った。⌈屠られた小羊は、
力、富、知恵、威力、
誉れ、栄光、そして賛美を
受けるにふさわしい方です。⌋
13また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、
そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。
⌈玉座に座っておられる方と小羊とに、
賛美、誉れ、栄光、そして権力が、
世々限りなくありますように。⌋
14四つの生き物は⌈アーメン⌋と言い、
長老たちはひれ伏して礼拝した。
*地上にあるもので完全なものは何一つありません。
けれども不完全なものでも完全を目指して進むところに
物事の価値はあるのではないでしょうか。
礼拝という行為についても同様です。
教団や教会によって礼拝のスタイルはまちまちです。
どれが完全なのか判別することはできません。
今日のみ言葉には、天国の礼拝の光景が記されています。
ここで行われる礼拝が完全な礼拝です。
十字架で死なれたキリストに、すべてのものが賛美と礼拝をささげています。
地上での礼拝は不完全なものかもしれませんが、
この完全な礼拝に向かって毎週捧げられているのです。
2012年11月2日金曜日
2日「マリアの賛歌」
ルカ1:46-50 新約p 101(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
46そこで、マリアは言った。⌈わたしの魂は主をあがめ、
47わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
48身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、
49力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
50その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
*皆さんは幸せですか。
何が幸せであるかは人によって様々であると思います。
自分が幸せな人であると告白できるというのは、
本当に素晴らしいことです。
救い主の母となるという予告を受けたマリアは、
自分が幸せだと告白しています。
彼女にとっての幸せは、
神が私に目を留めてくださったことを発見したことにあります。
2012年11月1日木曜日
1日「主に向かって心から」
エフェソ5:15-20 新約p 358(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
15愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。
16時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。
17だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。
18酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、
19詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。
20そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。
*何が自分にとって霊的な益となるかを考える必要があります。
この地上のあらゆる出来事は、永遠のものではないからです。
今日一日、永遠の自分に目を向けて、物事を判断することができますように。
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