2012年12月19日水曜日

19 日「朝を待つにもまして」

 

 

詩編130:5-8 旧約p 973(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

5わたしは主に望みをおき

わたしの魂は望みをおき

御言葉を待ち望みます。

6わたしの魂は主を待ち望みます

見張りが朝を待つにもまして

見張りが朝を待つにもまして。

7イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに

豊かな贖いも主のもとに。

8主は、イスラエルを

すべての罪から贖ってくださる。

 

*私たちはどれくらい待つことができるでしょうか。

短期的な事柄だけではなく、

長期的に待っているものはあるでしょうか。

親の代から待っていることを持っている人は稀だと思います。

イスラエル民族は、メシアの誕生を待ち望みました。

聖書の約束を次の世代へと引き継いでいったのです。

気の遠くなるような待ち方です。

そしてクリスチャンは、もう一度来ることを約束された

キリストを世代をリレーしながら待ち続けているのです

 

2012年12月15日土曜日

15日「救いに通じる悔い改め」

 

 

2コリント7:8-10 新約p 333(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

8あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、

9今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。

10神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。

 

*一般的な悲しみの中に自分を置き続けると、人は弱っていきます。

しかし罪に対しての悲しみは、私たちに救いと慰めと命へと導くものです。

イエス・キリストは

「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」

と語っておられますが、

その意味がここにあります。

 

2012年12月14日金曜日

14日「神の忍耐」

 

 

2ペトロ3:8-9 新約p 439(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

8愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。

9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。

 

*私たちは自分が過ごす時のことをどのように考えているでしょうか。

80年の人生が与えられていたとしても、

それはあっという間に過ぎ去る時間です。

けれども人には神の前に永遠と言う時間を超えた場所が存在しています。

「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」

と言われる場所で私たちがどうあるかを、聖書は重要視しているのです。

 

2012年12月13日木曜日

13日「打ち砕かれ悔いる心」

 

 

 

詩編51:18-19 旧約p 885(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

18もしいけにえがあなたに喜ばれ

焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら

わたしはそれをささげます。

19しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を

神よ、あなたは侮られません。

 

*打ち砕かれるという事は、私たちにとってとても辛い経験です。

人からの言葉や攻撃によって打ち砕かれる時、私たちの精神は疲弊します。

けれども神によって砕かれるのは、人からのものとは異なります。

悔い改めは私たちの霊が砕かれることです。

霊が砕かれることによって、神の愛が浸透しやすい、柔らかな心となるのです。

 

2012年12月12日水曜日

CSクリスマス会

毎週土曜日に開かれているジョイランドの、
クリスマス会を行います。

12月22日() 午後2:00~ です。

ぜひ来てください。
お待ちしています。

 

12 日「告白して罪を捨てる」

 

 

箴言28:12-14 旧約p 1028(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

12神に従う人々が喜び勇むと輝きは増し

神に逆らう者が興ると人は身を隠す。

13罪を隠している者は栄えない。告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける。

14いかに幸いなことか、常に恐れを抱いている人。心の頑な者は苦難に陥る。

 

*企業などが問題を隠蔽工作したことによって、

より大きな問題に発展していること私たちはニュースなどで知っています。

失敗や過ちを隠し続ける先に、良い発展はありません。

人も同じことが言えます。

神様の前に自分は完全だと誇れる人は誰もいないはずです。

自分の不完全さを認めつつ進む道に、真実の祝福はあるのです。

 

2012年12月11日火曜日

11日「罪を公に言い表す」

 

 

 

1ヨハネ1:7-10 新約p 441(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

7しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。

8自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。

9自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

10罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。

 

*神が全てを知っておられるなら、祈る必要があるのでしょうか。

また、告白する必要があるのでしょうか。

今日の御言葉は、神の側の問題ではなく、

私たち自身が自分自身を、また罪をどのように認識しているかが問われているのです。

自分のありのままの姿を見つめ、認め、

神様の前に赤裸々になるとき、真実の赦しを経験できるのです。