2013年2月28日木曜日

28日「罪の赦し」

 

 

コロサイ2:11-15 新約p 370(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

11あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、

12洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。

13肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、

14規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。

15そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。

 

*もしも、私たちが過去の行為の全てのリストが提示されたなら、

私たちは恥ずかしくて外を歩けないでしょう。

全てを神は知っておられるとは、

そのようなものなのです。

けれどもキリストは十字架の血によってそのリストの全てを

塗りつぶしてくださったのです。

 

2013年2月26日火曜日

26日「十字架の引力」

 

 

ヨハネ12:27-33 新約p 192(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

27⌈今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。

28父よ、御名の栄光を現してください。⌋すると、天から声が聞こえた。⌈わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。⌋

29そばにいた群衆は、これを聞いて、⌈雷が鳴った⌋と言い、ほかの者たちは⌈天使がこの人に話しかけたのだ⌋と言った。

30イエスは答えて言われた。⌈この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。

31今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。

32わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。⌋

33イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。

 

*信仰は人からの強制で持つものではありません。

キリストは愛の引力が人をひきつけるのです。

キリストの十字架に愛を発見した時、

自然と引きつけられていくのです。

 

2013年2月25日月曜日

ご案内(3月3日日曜日)



3月3日(日)10:15~
どなたでも出席していただける、
バイブルサンデーです。

ぜひお越しください。



2013年2月22日金曜日

22日「顔と顔を合わせて」

 

 

 

出エジプト33:7-11 旧約p 149(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

7モーセは一つの天幕を取って、宿営の外の、宿営から遠く離れた所に張り、それを臨在の幕屋と名付けた。主に伺いを立てる者はだれでも、宿営の外にある臨在の幕屋に行くのであった。

8モーセが幕屋に出て行くときには、民は全員起立し、自分の天幕の入り口に立って、モーセが幕屋に入ってしまうまで見送った。

9モーセが幕屋に入ると、雲の柱が降りて来て幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた。

10雲の柱が幕屋の入り口に立つのを見ると、民は全員起立し、おのおの自分の天幕の入り口で礼拝した。

11主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。モーセは宿営に戻ったが、彼の従者である若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋から離れなかった。

 

*情報化社会となり、SNSなどを利用して

人とつながることができるようになりました。

私もFACEBOOKなどを利用しています。

けれどもどんなに発達しても、

人が顔と顔を合わせて話をするということの

重要性は変わりません。

現に国同士においても首脳会談はお互いのコミュニケーションの

重要な部分を担っています。

神様との対話も同様です。

顔と顔を合わせるように、神に向き合い

聖書に向き合うひと時が必要なのです。

 

2013年2月20日水曜日

20 日「海の中を通る」

 

 

 

出エジプト14:19-25 旧約p 117

19イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、

20エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた。両軍は、一晩中、互いに近づくことはなかった。

21モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。

22イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。

23エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。

24朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。

25戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。⌈イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。⌋

 

 

*海が割れてイスラエルの民が進むシーンです。

出エジプトのクライマックスシーンですね。

道のない海の中に、神は道を作り、イスラエルの民を逃れさせました。

私たちの期待しない場所でも、神は道筋を作ることの出来るお方です。

行き詰った状況でも、神は道を与えてくださいます。

 

2013年2月19日火曜日

19日「謙遜な人モーセ」

 

 

 

民数記12:2-8 旧約p 233(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

2彼らは更に言った。⌈主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではないか。⌋主はこれを聞かれた。

3モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。

4主は直ちにモーセとアロンとミリアムに言われた。⌈あなたたちは三人とも、臨在の幕屋の前に出よ。⌋彼ら三人はそこに出た。

5主は雲の柱のうちにあって降り、幕屋の入り口に立ち、⌈アロン、ミリアム⌋と呼ばれた。二人が進み出ると、

6主はこう言われた。⌈聞け、わたしの言葉を。あなたたちの間に預言者がいれば

主なるわたしは幻によって自らを示し

夢によって彼に語る。

7わたしの僕モーセはそうではない。彼はわたしの家の者すべてに信頼されている。

8口から口へ、わたしは彼と語り合う

あらわに、謎によらずに。主の姿を彼は仰ぎ見る。あなたたちは何故、畏れもせず

わたしの僕モーセを非難するのか。⌋

 

 

*リーダーシップの一つの形であり、

聖書が推奨するリーダーシップでもあります。

偉大な指導者であったモーセですが、誰よりも謙遜な人でした。

リーダーでもありながら、自分自身は神様をリーダーとして

認めていたということです。

神の偉大さを知れば知るほど、人は自分の未熟さを知り、

謙遜になっていくのです。

 

2013年2月18日月曜日

18日「わたしはある」

 

 

 

出エジプト3:13-15 旧約p 97(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

13モーセは神に尋ねた。⌈わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。⌋

14神はモーセに、⌈わたしはある。わたしはあるという者だ⌋と言われ、また、⌈イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。⌋

15神は、更に続けてモーセに命じられた。⌈イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名

これこそ、世々にわたしの呼び名。

 

*「わたしはある」とは、神が他の何にも依存せずに存在していること、

また永遠の初めから永遠の終わりまで存在していることの宣言です。

私たちが目にするもの、また私たち自身は、存在に原因がありますが、

神は他のものに依存することなく存在しておられるのです。

弱さを感じる時、私たちの存在の源である方に、

目を向けることができますように。

 

2013年2月13日水曜日

13 日「罪と戦う」

 

 

 

ヘブライ12:1-6 新約p 416(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

1こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、

2信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。

3あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。

4あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。

5また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。⌈わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、

力を落としてはいけない。

6なぜなら、主は愛する者を鍛え、

子として受け入れる者を皆、

鞭打たれるからである。⌋

 

*信仰を持って進むことは、ある面においては

この世の価値観に反する生き方でもあります。

周囲と道徳観が異なる場合、

ある行為に対する罪意識に差が生まれます。

どんな場合であっても、

罪と戦う意思と忍耐が与えられますように。

 

2013年2月12日火曜日

12日「神の武具」

 

 

エフェソ6:10-13 新約p 359(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

10最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。

11悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

12わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。

13だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

 

*自分で自分を強くすることには限界があります。

信仰によって神が私たちを強くしてくださるのです。

私たちを弱める様々な力が働いてくるかもしれませんが、

力強く対抗できますように。

 

2013年2月5日火曜日

5日「住み、巡り歩く」

 

 

2コリント6:16-18 新約p 332(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

16神の神殿と偶像にどんな一致がありますか。わたしたちは生ける神の神殿なのです。神がこう言われているとおりです。⌈『わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。そして、彼らの神となり、

彼らはわたしの民となる。

17だから、あの者どもの中から出て行き、

遠ざかるように』と主は仰せになる。『そして、汚れたものに触れるのをやめよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、

18父となり、

あなたがたはわたしの息子、娘となる。』

全能の主はこう仰せられる。⌋

 

 

*一つ屋根の下に住むということは、簡単なことではありません。

色々な理由があって一緒に住むわけですが、

その基盤としてお互いの「愛」と「信頼」が必要なのではないでしょうか。

キリストが私たちの心に住むためにも、

「愛」と「信頼」が必要です。

キリストはもちろん私たちを愛しておられますから、

私たちの側の「愛」と「信頼」が必要となります。

お互いの「愛」と「信頼」が満ちている時、

その歩みは喜びが満ちることでしょう。

 

2013年2月4日月曜日

4日「キリストがあなた方の内に」

 

 

ローマ8:9-11 新約p 284(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

9神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。

10キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。

11もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。

 

*人は社会的な生き物です。

社会的と言う意味の中には、何かに属すると言う所属感があると思います。

自分が孤独ではなく、何かのグループなりに属しているという意識は、

私たちが考えている非常に重要なことです。

クリスチャンがキリストに属する人です。

クリスチャンとしての所属意識が、

人に充実感を与えると同時に、生きがいも与えるのです。

今日一日、私たちが属している場所で、

充実感と生きがいを感じることができますように。