2012年9月20日木曜日

20日「将来と希望」

 

 

エレミヤ29:10-14 旧約p 1230(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。

わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。

そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。

わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、

わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。

 

*バビロン捕囚という苦しみの中にあるイスラエル民族ですが、

神様は将来と希望の計画を持っておられました。

今私たちが困難の中にあったとしても、確かな計画を持っていてくださるのです。

 

2012年9月19日水曜日

19 日「主の言葉は燃え上がり」

 

エレミヤ20:7-9 旧約p 1214(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

主よ、あなたがわたしを惑わし

わたしは惑わされてあなたに捕らえられました。

あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ人が皆、わたしを嘲ります。

わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中恥とそしりを受けねばなりません。

主の名を口にすまい

もうその名によって語るまい、と思っても

主の言葉は、わたしの心の中骨の中に閉じ込められて

火のように燃え上がります。押さえつけておこうとしてわたしは疲れ果てました。わたしの負けです。

わたしには聞こえています多くの人の非難が。「恐怖が四方から迫る」と彼らは言う。「共に彼を弾劾しよう」と。わたしの味方だった者も皆わたしがつまずくのを待ち構えている。「彼は惑わされて我々は勝つことができる。彼に復讐してやろう」と。

 

*言葉には強い力があります。

言葉によって、人を傷つけたり、人を力づけたりするのです。

今日の聖書の言葉は、神の言葉のエネルギーの大きさが表現されています。

聖書の言葉は単なる文字、過去の言葉ではありません。

聖書の言葉は今現在も生きており、今生きている私たちの内で力強く駆け巡るのです。

今日一日、生きている聖書の言葉が私たちを力付けますように。

 

2012年9月18日火曜日

18日「主に信頼する人」

 

エレミヤ17:7-10 旧約p 1207(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。

彼は水のほとりに植えられた木。

水路のほとりに根を張り

暑さが襲うのを見ることなく

その葉は青々としている。

干ばつの年にも憂いがなく実を結ぶことをやめない。

人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。

心を探り、そのはらわたを究めるのは主なるわたしである。

それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。

 

*自分のことは自分が一番良くわかるという部分と、

自分自身が一番よくわかっていないという部分があります。

自分自身の心さえ、理解し尽すことはできませんから、

他人の心の本当の意味で理解することは不可能でしょう。

ただ一人、創造主だけは全てを知っておられるます。


病んでいる理由をすべて把握し、

アプローチしてくださる助言者的存在なのです。

 

2012年9月17日月曜日

17日「わたしの口」

 

エレミヤ15:19-21 旧約p 1206(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

それに対して、主はこう言われた。「あなたが帰ろうとするなら

わたしのもとに帰らせ

わたしの前に立たせよう。もし、あなたが軽率に言葉を吐かず

熟慮して語るならわたしはあなたを、わたしの口とする。

あなたが彼らの所に帰るのではない。彼らこそあなたのもとに帰るのだ。

この民に対してわたしはあなたを堅固な青銅の城壁とする。

彼らはあなたに戦いを挑むが勝つことはできない。

わたしがあなたと共にいて助けあなたを救い出す、と主は言われる。

わたしはあなたを悪人の手から救い出し強暴な者の手から解き放つ。」

 

*口のコントロールは非常に難しいものです。

けれども、私たちのの口を神に献げ、

私たちを通して神が語ることを願うなら、

人を生かす言葉を発することができるでしょう。

今日一日、人を傷つけ破壊する言葉から離れ、

人を建て上げる言葉を発することができますように。

 

2012年9月15日土曜日

15日「あなたを僕として」

 

 

イザヤ49:5-6 旧約p 1142(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

主の御目にわたしは重んじられている。

わたしの神こそ、わたしの力。今や、主は言われる。

ヤコブを御もとに立ち帰らせ

イスラエルを集めるために

母の胎にあったわたしを

御自分の僕として形づくられた主は

こう言われる。わたしはあなたを僕として

ヤコブの諸部族を立ち上がらせ

イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。

だがそれにもまして

わたしはあなたを国々の光とし

わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

 

*神様はご自分の計画を実現するための僕を求められます。

それは単なる奴隷のような僕ではなく、協力者です。

そして、協力する私たちを重んじてくださるのです。

私たち自身が世を照らす光となり、

救いを伝え、与えることを願っておられます。


 

2012年9月14日金曜日

14日「取るに足りない僕です」

 

 

ルカ17:7-10 新約p 142(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。

むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。

命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。

あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」

 

 

*どんな立場であれ、「するべきことをした」と言い切れることは素晴らしいことです。

その積み重ねの先に、自分自身の人生において「するべきことをした」

との思いの中で人生を終えることが出来るなら、私たちは幸せです。

今日一日、自分の果たすべき役割を、

しっかりと果たし、満足の中で今日一日を終えることができますように。

 

2012年9月7日金曜日

敬老祝福礼拝

次の日曜日は、敬老祝福礼拝です。

ハイデルベルク信仰問答を紹介いたします。

問1 生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか。

答  わたしが、身も魂も、生きている時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしの真実なる救い主イエス・キリストのものであることであります。


一時的な慰めではなく、生涯変わらない慰め。

それは、私自身が、自分のものではなく、 主イエス・キリストのものであるということです。


クリスチャンがしっかりと、この足場に立ったとき、

他者をうらやむことはなくなります。


自分の人生を走りきることの満足と感謝を経験できるのです。

あなたは一体だれのものなのでしょうか。