2012年12月10日月曜日
10日「放蕩息子」
ルカ15:17-20 新約p 139(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
17そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
18ここをたち、父のところに行って言おう。⌈お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
19もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください⌋と。』
20そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
*息子はわたしたちを、父親は神様のことを表しています。
そして、この譬え話のテーマは神の愛と赦しです。
私たちが方向転換(=悔い改め)をすることを待ち続け、
受け入れてくださるのです。
2012年12月8日土曜日
8日「正義が造り出すもの」
イザヤ32:15-18 旧約p 1112
15ついに、我々の上に
霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり
園は森と見なされる。
16そのとき、荒れ野に公平が宿り
園に正義が住まう。
17正義が造り出すものは平和であり
正義が生み出すものは
とこしえに安らかな信頼である。
18わが民は平和の住みか、安らかな宿
憂いなき休息の場所に住まう。
*私たちはそれぞれ異なった価値観を持っています。
その価値観に基づいて行動を起こすわけです。
もちろん迷いもありますが、信念をもって行動します。
それを正義と呼ぶことができるでしょう。
それぞれの異なった正義が争いを生みます。
正義と正義が対立します。
けれども、神の正義は平和を作り出すためです。
それは公平と愛に満ちた正義です。
私たちの個人的な正義も、平和を作り出すものとなりますように。
2012年12月6日木曜日
6日「イスラエルの上に」
ガラテヤ6:14-16 新約p 351(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
14しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。
15割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。
16このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。
*人はどのようにして新しくスタートできるのでしょうか。
聖書は、キリストの十字架によって、
新しい基準が生まれることを言っています。
キリストの十字架と私が一つとなるとき、
この世は自分に対して何の力もないものとなります。
この原理に生きる中に、真実の平和があるのです。
2012年12月5日水曜日
5 日「シャローム」
ルカ10:5-6 新約p 125(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
5どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。
6平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。
*聖書の言葉であるヘブライ語の挨拶は「シャローム」と言います。
シャロームとは、平和という意味です。
自分の平和だけではなく、相手や周囲の平和を求める挨拶です。
自分中心に平和を求めるのではなく、
相手も含めた人間関係の平和を求めて祈りましょう。
2012年12月4日火曜日
4日「平和の契約」
イザヤ54:9-10 旧約p 1151(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
9これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。
再び地上にノアの洪水を起こすことはないと
あのとき誓い
今またわたしは誓う
再びあなたを怒り、責めることはない、と。
10山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。
*人の約束は絶対のものではないかもしれません。
けれども、神様の約束は絶対のものです。
今日の御言葉には、創造主の変わらない約束が記されています。
人生に多くの問題や困難は起こりますが、
契約は破棄されず、平和は必ず与えられるのです。
2012年12月3日月曜日
3日「平和が告げられる」
ゼカリヤ9:9-10 旧約p 1488(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
9娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
10わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ
諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで及ぶ。
*王の入城に使われる動物は、普通は馬です
けれどもキリストの入城で使われた動物は、ロバでした。
それは武力によって平和を確立するのではなく、
人に仕えることによって、平和を確立するためです。
他者の奉仕は平和につながるはずです。
私たちの小さな働きが、平和につながっていきますように。
2012年12月1日土曜日
1日「気を落とさずに」
ルカ18:1-7 新約p 147(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。
2⌈ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。
3ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。
4裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。
5しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』⌋
6それから、主は言われた。⌈この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。
7まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
*イエス・キリストの譬え話には、ユーモアが含まれています。
今日の御言葉には、不正な裁判官が登場します。
あってはならないことですが、現実には存在していたのだと思います。
根っからの不正な裁判官でさえ、
訴えのうるさい女性のために正しい裁きをするのだから、
公平な神様は必ず正しい裁きをし、
私たちを見捨てないということです。
そんな神様を信じ、真実の答えを得るまで、祈り続ける人は幸いです。
登録:
投稿 (Atom)






