2013年12月16日月曜日

クリスマスメッセージ②「枕するところがない」

<馬小屋のイメージ>
私たちは聖書に記されている様々な出来事についてイメージを膨らませていきます。
けれども、後の時代になって描かれた絵画などが、私たちのイメージとして刷り込まれている場合が多くありますので、聖書の時代の文化というものを学びなおすという作業が必要になります。

最後の晩餐は、ダ・ビンチの絵などが強く入っていますので、テーブルを囲む姿がすぐに思い浮かぶかもしれませんが、実際には寝っころがるようなスタイルで行われていました。

さて、クリスマスについても私たちは様々なイメージに縛られています。

キリストが誕生した馬小屋は、木造の小屋のようなスタイルであり、飼い葉おけもまた、木製の入れ物とされているのが一般的なイメージです。

では実際にはどんなものだったのでしょうか。

ユスティノス(100年? - 162年?)らの伝える伝承によると、馬小屋は家畜避難用の洞窟といわれています。
そして飼い葉おけは、洞窟の側面を切り取り、くり抜いて桶の役割をするように作られたものとなります。

ベツレヘムの聖誕教会も、洞窟のような場所がキリストの誕生の場所となっており、多くの巡礼者が訪れています。

キリストの誕生のその場所を、イメージしてみてください。

洞窟の側面が削られ、そこに布にくるまれたキリストが置かれているのです。

このイメージは、別の出来事を思い起こさせないでしょうか。

そうです、キリストの誕生の姿は、十字架のあとの葬りとつながっていくのです。

「 さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、
同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。
この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、
遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。」(ルカ23:50-53)



<キリストが枕された場所①船の中で>
さて、今日のメッセージは、キリストが切り抜かれた石の飼い葉おけに寝かされたことを思いつつ、キリストが生涯の中で、枕された場所を思い起こしたいと思います。

「イエスは、自分を取り囲んでいる群衆を見て、弟子たちに向こう岸に行くように命じられた。
そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。
イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」」(マタイ8:18-22)

「人の子には枕する所もない。」
これは、キリストに従う道に安定した生活が保障されてはいないことを示しています。

それを聞いた弟子の一人が、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と発言します。

イエス様は自分の父親の葬りも赦されない、人情を知らない発言だと考えるかもしれません。
けれども、これは父が死んだのではなく、まだ健在で親孝行をし、子どもの務めを果たし、親を送ってから、キリストに従うということを意味しています。
つまり、キリストに従うことを無期限に延期しているのです。


そしてこのやり取りの直後に、ひとつの出来事が起こります。
「イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。
弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。
イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。
人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。」(マタイ8:23-27)

マルコによる福音書では「イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。」と記しています。
船の中にあるものを枕にし、眠っておられます。そして、嵐が起こるのです。

「人の子には枕する所もない。」と言われたように、キリストに従う道に安定した生活がないことが示されています。

けれども、その一方で主はその嵐を鎮めることができるお方なのです。

今日、主に従う私たちの周りで、激しい嵐は起こっているでしょうか。
おぼれそうになることが起こっているでしょうか。

主はそれを静めることができるお方です。




<キリストが枕された場所②ゲッセマネの園と十字架で>
キリストの受難の時、キリストの頭はどこに接していたのでしょうか。

ゲッセマネの園において、キリストの頭は地面に付けられていました。

「一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、『わたしが祈っている間、ここに座っていなさい』と言われた。
そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、
彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。』
少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
こう言われた。『アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。』」(マルコ14:32-36)

ゲッセマネの教会には、キリストが祈られたという大きな岩が残されています。
キリストの頭は冷たく固い地面に触れ、少し離れたところで弟子たちが眠っていましたが、キリストは神の御心を一つとなるために、御心に従うために祈られたのです。


そして、キリストは、十字架にかけられ、十字架の木を枕とされました。
頭には茨の冠が冠せられ、休むためではなく、苦しむために枕しておられたのです。

クリスマスのその日、馬草の上に置かれたイエス様ですが、牧草は赤ちゃんイエス様の柔らかい肌に、チクチクと刺激を与えていたのではないでしょうか。

そして最後のとき、茨の冠がキリストの頭に痛みを与えるのです。


<十字架の黙想「茨の冠」>
  柔和で謙遜、平和の王である主御自身に対して、どんな王冠をもって戴冠式を行おうとするのでしょうか。
彼らは鋭いとげのついた茨をもってきて、悪魔的な技術の限りをつくし、たぐいのない王冠を、王の王、主の主の頭にかぶせようとするのです。
型に合わない冠を頭にかぶせようとして力任せに入れようとする、とげは用捨なく御頭の周りのいたるところに深く刺し入り、頭の血管は破れ血汐は流れ出て、尊い御顔は血汐にそまって、眼にしみ入ります。
 こんな戴冠式が、歴史上どこにあったであろうか。ここまで主に恥辱を与えた茨の冠こそ、人祖アダムが罪を犯してから後、呪われ出た罪のとげなのです。わたしたちが頭にめぐらせす悪智恵をもって犯せた罪の一つ一つが、こんな冠をつくり出し、一つ一つの鋭いとげとなって主を痛め申しあげたのです。
これは私たちの犯した知的犯罪を償うためにお受けになったものに違いありません。わたしたちは主にのみ茨の冠をいだかせて、自らは虚栄の花の冠をかぶりたいと望んでいるのではないでしょうか。
  シエナの聖女カタリナについてこんな美しいエピソードがあります。ある日主がカタリナにお現れになり、黄金の花の冠と茨の冠の二つを示し、「この中のどちらかを選びとりなさい」とおっしゃいました。彼女はその時少しもためらわず、喜びにあふれて魅了されたように「ああ主よ!私に茨の冠を与えてください」と、花婿である主と同じの茨の冠を選びとったのです。
その瞬間から彼女は大きな苦しみや病などをその身に絶え間なくうけて悩まされましたが、見舞う人々に向って「わたしは十字架を喜ばしく思います。もし主が、今天国に行くか、あるいはもうしばらくこの世にあって苦しむかとお尋ねになったなら、わたしはもうしばらくこの世において苦しむことを切にのぞみます。なぜならば、この世において苦難の十字架を、主と共に負うことによって、天国の幸福を得ることができるからです」と語りました。
  信仰の生涯の中で様々の苦難にあい、人々から誤解され、嘲笑され、冷たくあしらわれる時、主の茨の冠を深く黙想することは、どんなに慰めに満ちた信心の行為でしょう。そうすれば茨の冠は直ちに栄の冠となり、悲しみは去って、このうえもない慰めと変わるのです。
  主イエス・キリストの御受難を黙想することは、どれほど恵みを豊かに受ける手段でしょうか。
  人はこのような茨の冠を主の頭上にかぶせました。けれども、主はわたしたちには生命の冠と義の冠をもって報い、こたられるのです。

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