2013年6月25日火曜日

25日「だれが礼拝するのか」

 

 

黙示録5:11-14 新約p 458(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

11また、わたしは見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、多くの天使の声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。

12天使たちは大声でこう言った。⌈屠られた小羊は、

力、富、知恵、威力、

誉れ、栄光、そして賛美を

受けるにふさわしい方です。⌋

13また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。⌈玉座に座っておられる方と小羊とに、

賛美、誉れ、栄光、そして権力が、

世々限りなくありますように。⌋

14四つの生き物は⌈アーメン⌋と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。

 

 

*聖書の中で記されている、数少ない天国の光景です。

十字架で死んでくださったキリストに、

全ての造られたものが礼拝をささげています。

教会で行われる礼拝は、

天国での完全な礼拝に向かって進みつつ行われています。

イエス・キリストに礼拝をささげることによって、

人は霊的いのちと力が与えられていきます。

 

2013年6月7日金曜日

7日「出血が続いている女の信仰」

 

 

マタイ9:20-22 新約p 16(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

20すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。

21⌈この方の服に触れさえすれば治してもらえる⌋と思ったからである。

22イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。⌈娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。⌋そのとき、彼女は治った。

 

*女性の出血とは生理のことです。

12年間それが続くという病気を抱えていました。

旧約聖書には、生理の状態で物に触れると

触れたものは汚れた状態になると規定されていました。

これは女性の仕事負担の軽減のために定められたものだと思いますが、

この規定が彼女の人生に重苦しい日々を送らせることとなったのです。

イエス・キリストへの信仰によって癒しが起こりました。

このことは、イエス・キリストによって

聖書が完成されていくことも示している奇跡と言えるでしょう。

 

 

2013年6月6日木曜日

6日「百人隊長の信仰」

 

 

マタイ8:8-10 新約p 13(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

8すると、百人隊長は答えた。⌈主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。

9わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。⌋

10イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。⌈はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。

 

*人はジャンルを問わず、「権威」というものを認めるようです。

簡単な例でいくと、白衣を着ているだけで、

眼差しに尊敬が込められて行くということがあります。

人間の知識には限界がありますので、

その道の専門家への尊敬の念が強くなるのでしょう。

 

今日の聖書箇所ですが、イエスの言葉の権威を認めていた隊長の信仰が、

大きな奇跡を引き出したことが記されています。

私たちも聖書の御言葉の権威を知り、認める時、

人生に大きな変化が起こってくるでしょう。

 

2013年5月9日木曜日

9日「できるかぎりのこと」

 

 

マルコ14:6-9 新約p 90(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

6イエスは言われた。⌈するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。

7貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。

8この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。

9はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。⌋

 

*この辺りは微妙な話になるとは思いますが、

「できるかぎり」という言葉を投げかけられた時、

「それは無理だ」、「無理することを強制している」と感じる人があると思います。

一方で、本当に難しい人と、逃げる口実になってしまう人が存在することも事実です。

「ガンバレ」という言葉が言いにくい時代ですし、

その言葉を負担に感じる人もあることも事実です。

けれども、今日はあえてその言葉を投げかけてみたいと思います。

「惜しむ気持ちと戦って、できる限りがんばろう!」

 

2013年5月8日水曜日

8 日「すぐに網を捨てて」

 

 

マタイ4:18-22 新約p 5(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

18イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。

19イエスは、⌈わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう⌋と言われた。

20二人はすぐに網を捨てて従った。

21そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。

 

*「断捨離」を勧める本が幾つも出版されています。

自分にとって本当に必要なものを吟味することは、

新しいスタートにつながって行きます。

キリストの弟子として招かれることは、

別の面からいえば、自分が握っているものを手放すことです。

空になった手の中に、神様は大きな恵みを握らせてくださいます。

 

2013年5月2日木曜日

2日「三人の男」

 

 

ダニエル3:23-27 旧約p 1387(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

23シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。

24間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。⌈あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。⌋彼らは答えた。⌈王様、そのとおりでございます。⌋

25王は言った。⌈だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。⌋

26ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。⌈シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。⌋すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。

27総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。

 

*今日の題名は「三人の男」ですが、

正確には「四人目の男」ではないかと思います。

燃え盛る炉の中で、三人の若者が焼き尽くされなかったのは、

神が共におられたからです。

今日一日、私たちに降りかかる様々な出来事から

「四人目のお方」であるキリストが守ってくださいますように。

 

2013年5月1日水曜日

1 日「エレミヤ」

 

 

 

エレミヤ1:4-8 旧約p 1172(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

4主の言葉がわたしに臨んだ。

5⌈わたしはあなたを母の胎内に造る前から

あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に

わたしはあなたを聖別し

諸国民の預言者として立てた。⌋

6わたしは言った。⌈ああ、わが主なる神よ

わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。⌋

7しかし、主はわたしに言われた。⌈若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ

遣わそうとも、行って

わたしが命じることをすべて語れ。

8彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて

必ず救い出す⌋と主は言われた。

 

*「胎から生まれる前に」という言葉から、

神様の大きな計画を見ることができます。

「わたし」という存在が、単なる親の願望や事情によって

生まれたのではないということなのです。