2012年11月14日水曜日
14 日「救いは主に」
ヨナ2:7b-11 旧約p 1446(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
7しかし、わが神、主よ
あなたは命を
滅びの穴から引き上げてくださった。
8息絶えようとするとき
わたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き
聖なる神殿に達した。
9偽りの神々に従う者たちが
忠節を捨て去ろうとも
10わたしは感謝の声をあげ
いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。
11主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出した。
*行動は、その人の考えや意思の表現です。
信仰も行動によって表現することができます。
けれども人は年齢を重ねると運動能力が衰えたり、
状況によっては、何もできないように思う場合があります。
絶体絶命と思われる状況でも、まだ一つ人は信仰の行動を起こすことができます。
それは主の御名を呼ぶということです。
主の御名を呼ぶことはどこでもできる信仰の行動です。
2012年11月13日火曜日
13日「陰府の底から」
ヨナ2:1-3 旧約p 1446(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。
2ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、
3言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと
主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めると
わたしの声を聞いてくださった。
*魚の腹にいるという状況にありながらも、
命を保っていることを思い、主が助けてくださったとことに感謝をささげています。
一見最悪と思われる状況でも、
見方が変わるときそこに救いを発見することができるのです。
最悪は、実は最悪ではない可能性があるのです。
2012年11月12日月曜日
12日「わたしのせいで大嵐が」
ヨナ1:9-12 旧約p 1445(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
9ヨナは彼らに言った。⌈わたしはヘブライ人だ。海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ。⌋
10人々は非常に恐れ、ヨナに言った。⌈なんという事をしたのだ。⌋人々はヨナが、主の前から逃げて来たことを知った。彼が白状したからである。
11彼らはヨナに言った。⌈あなたをどうしたら、海が静まるのだろうか。⌋海は荒れる一方だった。
12ヨナは彼らに言った。⌈わたしの手足を捕らえて海にほうり込むがよい。そうすれば、海は穏やかになる。わたしのせいで、この大嵐があなたたちを見舞ったことは、わたしが知っている。⌋
*今日の場所はヨナの魅力が満載の名シーンです。
ヨナは自分の感情に素直に生きています。
嵐の責任を認め、ジタバタすることなく
嵐の打開策を提案しています。
責任を感じた時、そこから逃げ出さないという姿は、
私たちにとって大きな光です。
強い自己主張は、強い責任感とセットであるべきでしょう。
2012年11月11日日曜日
11日「ヨナの逃亡」
ヨナ1:1-3 旧約p 1445(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。
2⌈さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。⌋
3しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。
*ヨナは自分の感情や思いに正直に生きている人です。
神様の言いなりになることを嫌い、命令に背きました。
それはアッシリアの首都ニネベは敵国であったために、
感情的に受け入れられなかったのです。
そのようなヨナを、神様は段階を踏んで導かれるのです。
2012年11月10日土曜日
10日「神を見る」
マタイ5:8-10 新約p 6(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
8心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
9平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
10義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
*清いとは、まっすぐ、ひたむきな様子を表しています。
神にまっすぐに向かう人は、神との出会いを経験するでしょう。
2012年11月9日金曜日
9日「備えをせよ」
アモス4:12-13 旧約p 1433(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
12それゆえ、イスラエルよ
わたしはお前にこのようにする。
わたしがこのことを行うゆえに
イスラエルよ
お前は自分の神と出会う備えをせよ。
13見よ、神は山々を造り
風を創造し
その計画を人に告げ
暗闇を変えて曙とし
地の聖なる高台を踏み越えられる。その御名は万軍の神なる主。
*私たちは様々な不測の事態に備えようと努力をします。
危機や危険をできるだけ避けようとするのは自然な思いです。
私たちは様々な備えをしようとして行きますが、
今日の聖書の言葉は、もう一つの備えを強調しています。
それは神と出会う備えです。
後悔のない生き方をすることや、
正しい事を選ぼうとすること。
人の前だけではなく、
神の前に立つことができる生き方をすること。
もちろん全てがうまくいくわけではありませんが、
その意識の中に生きることが重要なのです。
神様からの恵みによって、今日一日備えをすることができますように。
2012年11月8日木曜日
8日「イザヤ」
イザヤ6:4-7 旧約p 1069(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
4この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
5わたしは言った。⌈災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は
王なる万軍の主を仰ぎ見た。⌋
6するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。
7彼はわたしの口に火を触れさせて言った。⌈見よ、これがあなたの唇に触れたので
あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。⌋
*五十歩百歩、人のふり見て我がふり直せ
どちらも自分の姿を見つめなければならないことを教えています。
他人には厳しく、自分には甘い、これが人間本来の姿でしょう。
自分自身を見つめるということが非常に難しいものです。
今日の聖書の登場人物イザヤも同じです。
彼は正義感に燃えてイスラエル民族の批判の言葉を述べています。
けれども神の栄光の前に立ったとき、他者への非難は消え、
人は自分の醜さと現実を知ることになります。
その時に、神の救いの手が伸ばされていくのです。
今日一日、他者への批判の前に自分を見つめることができますように。
登録:
投稿 (Atom)






