2012年11月7日水曜日
7 日「ヨブ」
ヨブ42:1-6 旧約p 833(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1ヨブは主に答えて言った。
2あなたは全能であり
御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
3⌈これは何者か。知識もないのに
神の経綸を隠そうとするとは。⌋そのとおりです。
わたしには理解できず、わたしの知識を超えた
驚くべき御業をあげつらっておりました。
4⌈聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。⌋
5あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
6それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し
自分を退け、悔い改めます。
*人生には不条理と思えることが起こることがあります。
「なぜ?」「どうして?」と自問しても答えは見つかりません。
今日の聖書の登場人物ヨブも、人生の不条理を経験しました。
これは問い続けましたが答えは見つかりませんでした。
そして最後に全てを掌握しておられる神と出会います。
神が人の理解をはるかに超えた偉大な存在であることを知ったことによって、
ヨブは自分の身に起こることの全てを理解できなくても、
人生のすべてを委ねることができるようになりました。
2012年11月6日火曜日
6日「ヤコブ」
創世記28:16-17 旧約p 46
16ヤコブは眠りから覚めて言った。⌈まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。⌋
17そして、恐れおののいて言った。⌈ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。⌋
*日本人は無神論であるとよく言われていますが、
実際にはそうではなく、神を意識しないところに、
人の幸せがあると考えていたようです。
「困った時の神頼み」という言葉が示すように、
困らないことが人間にとっての幸せであり、
つまり神を求めないことが、人の幸せにつながっているということなのです。
キリスト教は全く逆の考え方です。
神が共におられると言う事を発見するところに、
人の幸せがあるのです。
今日の御言葉を見ると、
最も身近におられる神の存在を発見し、驚き喜んでいます。
私たちも発見することができますように。
2012年11月5日月曜日
5日「イサク」
創世記26:23-25 旧約p 41(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
23イサクは更に、そこからベエル・シェバに上った。
24その夜、主が現れて言われた。⌈わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす
わが僕アブラハムのゆえに。⌋
25イサクは、そこに祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝した。彼はそこに天幕を張り、イサクの僕たちは井戸を掘った。
*私たちが親から受け継いだ価値観にはどんなものがあるでしょうか。
家風と言うと少々古めかしい考え方と感じるかもしれません。
最近はあまり重要視されていないかもしれませんが、
もう少し大事にしても良いように感じます。
あまり軽視すると、
子育てが無駄だという極論に走ってしまうかもしれません。
けれども実際には無視しているようでも、
知らず知らずのうちに考えの土台となっていく部分もあるはずです。
今日の御言葉ですが
アブラハムの礼拝の行為を同じようにイサクも行っています。
祝福と信仰を、しっかりと引き継いでいる姿を見ることができます。
私たちも良いものはしっかりと受け継いでいきたいものです。
2012年11月4日日曜日
4日「アブラハム」
創世記17:1-5 旧約p 21(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
1アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。⌈わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。
2わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。⌋
3アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。
4⌈これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。
5あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。
*老齢のアブラハムにとって、神が「全能」であると
ご自身を啓示されたことは、
信仰を固くする上で必要なことでした。
神はそれぞれにもっともふさわしい御名を名乗って、
私たちに出会ってくださるのです。
2012年11月3日土曜日
3日「賛美、誉れ、栄光」
黙示録5:12-14 新約p 458(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
12天使たちは大声でこう言った。⌈屠られた小羊は、
力、富、知恵、威力、
誉れ、栄光、そして賛美を
受けるにふさわしい方です。⌋
13また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、
そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。
⌈玉座に座っておられる方と小羊とに、
賛美、誉れ、栄光、そして権力が、
世々限りなくありますように。⌋
14四つの生き物は⌈アーメン⌋と言い、
長老たちはひれ伏して礼拝した。
*地上にあるもので完全なものは何一つありません。
けれども不完全なものでも完全を目指して進むところに
物事の価値はあるのではないでしょうか。
礼拝という行為についても同様です。
教団や教会によって礼拝のスタイルはまちまちです。
どれが完全なのか判別することはできません。
今日のみ言葉には、天国の礼拝の光景が記されています。
ここで行われる礼拝が完全な礼拝です。
十字架で死なれたキリストに、すべてのものが賛美と礼拝をささげています。
地上での礼拝は不完全なものかもしれませんが、
この完全な礼拝に向かって毎週捧げられているのです。
2012年11月2日金曜日
2日「マリアの賛歌」
ルカ1:46-50 新約p 101(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
46そこで、マリアは言った。⌈わたしの魂は主をあがめ、
47わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
48身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、
49力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
50その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
*皆さんは幸せですか。
何が幸せであるかは人によって様々であると思います。
自分が幸せな人であると告白できるというのは、
本当に素晴らしいことです。
救い主の母となるという予告を受けたマリアは、
自分が幸せだと告白しています。
彼女にとっての幸せは、
神が私に目を留めてくださったことを発見したことにあります。
2012年11月1日木曜日
1日「主に向かって心から」
エフェソ5:15-20 新約p 358(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)
15愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。
16時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。
17だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。
18酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、
19詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。
20そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。
*何が自分にとって霊的な益となるかを考える必要があります。
この地上のあらゆる出来事は、永遠のものではないからです。
今日一日、永遠の自分に目を向けて、物事を判断することができますように。
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